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なぜ、一部の女性はオタクに厳しいのか。

結婚制度は、共同体を形作る土台にあたる。

結婚制度を見れば、その共同体の『思想』がわかる。

その結婚制度を考える上で、日本が抱えている一番の問題は、

制度の問題としての結婚と、感情の問題としての恋愛が、

あまりに結びつきすぎていること、癒着していることである。

共同体の意思だけでなく、システムまでもが、感情によって動けば、

共同体の基盤が脆弱になるのは当然である。

現在の日本では、恋愛の行き着く先として結婚がある。

そのような義務は我々にはないのだが、どういうわけか、現在の日本では、

恋愛→結婚→子作り

が規定路線になっている。

戦後日本人は

この幻想を人生設計に組み入れて来たのだが、

どうも、最近は事情が変わってきたようである。

とくに男性の方で、

恋愛と結婚がイコールで結ばれるものではないことに

自覚的な者が多い。

そして、その中の一部については、

恋愛・愛の至上性に疑問を持ち、

多様的な価値感の中で、相対的に恋愛や愛を捉え始めている。

言い換えるなら、初期仏教的な考えに接近し始めている者たちがいる。


この男性たちに対する

恋愛至上主義教の女性たちのまなざしは、

異教徒に対するそれそのものである。

多様化する価値感の中で、恋愛もその絶対性を失いつつある。

具体的に言えば、恋愛と結婚が分けて考えられるようになり、

恋愛が本当の姿を取り戻しつつある。

現代日本の恋愛至上主義たちの第一の教義である、

恋愛(感情)と結婚(制度)の一体化が、

恋愛本来の姿を損ねていることに対して、

気づき始めている者たちがいる。


いま、日本で一番まともな恋愛をしているのは、

アイドルに夢中になっているオタクであろう。

彼らは純粋である。恋愛感情を恋愛感情のままで維持している。

それをなにかに変質させようとはしていない。

彼らが実践しているように、本来、恋愛にとって、結果は無価値であったはずだ。

(だから、ぼくは昔からアイドルに興味はないが、アイドルオタクは嫌いではない。

似たような理由で、プロレスオタクや鉄道オタクも好きだ)


恋愛至上主義の女性が毛嫌うアイドルオタクは、

まわりの女性に相手にされないことに対する代替行為として、

アイドルを応援をしているオタクたちではない。

彼らを見る彼女たちの目は優しい。

恋愛至上主義の女性たちが嫌うアイドルオタクは、

恋愛を恋愛としてだけ受け止め、

その延長線上になにも求めていない者たちだろう。

彼らの行為は、彼女たちを全否定している。

だから、彼女たちは、彼らを全否定するしかないのである。

しかし、彼女たちをなによりも苛立たせるのは、

彼女たちのターゲットであるブランド力のある男性たちが、

恋愛を他の価値と並列に置き始めたことだろう。

価値観が多様になる中で、

また、男女平等が進む中で、

男性にとってのステータスとしての女性の価値は低下しつつある。

自分を飾り立てるために女性を必要としている男性の数と、

自分を飾り立てるために男性を必要としている女性の数のバランスが崩れ、

恋愛至上主義教の女性たちが少ないパイを取り合っている現状は、

ますますその厳しさを増すであろう。

その結果、世の中の多様性に気づき、恋愛至上主義教から離れる女性が

増えるのではなかろうか。

人間の生きる目的は人それぞれちがう。

恋愛を必要としない人もいる。というよりも、必要としない人の方が多いはずである。

自分に合わない服は捨てるべきである。

女性だから恋愛をしなければならない義務はどこにもない。


辰野隆の口ぐせを思い出そう。

「恋愛は断じて、美男美女のものである」

私は美男ではないし、初期仏教に考えが近い人間だから、

恋愛などで時間を潰したくはない。

恋愛至上主義教に洗脳されて、つまらない人生を送っている人が多いように、

「異教徒」の私には見える。

恋愛って、そんなに大事ですか。愛、おぼえていますか。

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